「心」と「体」と「お金」を育てる幸せ探しの旅、ゆっくりいきましょ。
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 最近歴史ものを読むことはめったに無くなっていましたが、
幸せ探求者の著作物にちらほらと先人の姿が目に付くように
なりました。

 うろ覚えなんですが、
何かの本に、徳川家康が幕府を開いた後も黒田如水を恐れて
いたが、黒田如水から

「私が兵を起こすと心配しているようだが、心配なら戦って
 みるか。お前は私に勝てないだろう。
 私はすでに隠居した身であり、その気は無い。」

のような手紙で疑いを解いたとあり、
また、豊臣秀吉からも次に天下を取られると恐れられ、信頼
されながら決して優遇されなかった人物。

 最近気になって本屋へ行く度に探していたのですが、
なかなか見つからず、図書館で吉川英二全集に発見したので、
読んでみました。

 内容が姫路城を秀吉に明け渡すまでの若い時代を描いて
いることもあり、本から黒田如水を十分うかがい知ることはで
きませんでしたが、ここでは最後の方で印象に残った文章を
紹介します。

 「信長公が自身攻めつぶして行かれた後は、草木も枯れて
  しまう寂しさだが、筑前守(秀吉)が攻め落とした後には
  なんとなく、寒土から木や草の目が萌え出るようなものが
  残る、いったいこれは何の違いだろうか」

 これが2人の運命を分けることとなったわけですね。

 竹中半兵衛と共に天才軍師とうたわれた黒田如水、共に、
あえて信長でなく、秀吉を選んだ事が興味深いです。

 逸話をもう一つ。
 関が原のとき、黒田如水は息子を参加させ、自身は
 九州の平定に乗り出します。
 ところが、関ヶ原が一日で決着したと聞くや、ほぼ
 平定した九州の全てを家康に献上してしまうのです。

 一番の功労者として、家康が息子長政の手をとって
 喜んだと、帰郷してこの事を父如水に話すと、
 「その時左手は何をしていた」
 (なぜその時左手で家康を刺さなかったか)
 と詰問したということです。

 天下取りの才、まだまだ奥が深そうです。



 YouTubeにこんなのがありました。1つだけ紹介しておきます。
 「黒田二十四騎物語1/3
 興味がないと見てられないですが、インターネットってすごい。
 

次は吉田松陰だ!
 ↓

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