「心」と「体」と「お金」を育てる幸せ探しの旅、ゆっくりいきましょ。
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 今回は問題提起です。

 「今を生きる」でまるぺけさんに仏教の本を借りていることを書きま
した。読みやすくて、いい本なのですが、茶くれの考えと、真っ向から
衝突してしまいました。

 ここ2年、茶くれの心で、何が一番変わったかというと、

 「意識が正、現実(事実)は副」

 という考え方です。詳しくは「潜在意識入門」特に(その3)
読んでください。

我々は夢と現実を区別することができません。
 「今を生きる」で過去と未来について触れましたが、過去と未来は
その人自身の意識でしかなく、必ずしも現実ではありません。
 (同じ出来事でも、人によって感じ方は異なり、いい思い出にも
 悪い思い出にもなり、違う過去になってしまう)

 意識と現実の接点は今しかなく、極端な話、過去と未来は自分で
自由に変えることができるのです。
(ここが今にベストを尽くす真髄です。未来と過去は今が作るのです)

 この意識を自在に操ることこそ、成功哲学の要であるにも関わらず、
仏教は(茶くれの誤解だったらごめんなさい)、全ての意識は業であり、
悪であるというのです。

 悟りとは、この意識からの解脱を意味するものらしく、現実をあるが
ままに受け入れることが大切らしいのです。
 つまり、

 「現実が正、意識が副」

 まったく逆です。

 いったいどうしたらいいんでしょうか。今後の勉強が楽しみです。


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コメント
この記事へのコメント
茶くれさんは、
以前、正規分布信者であると話をしていましたね。

あの本の主題は、
正規分布の形をしたやじろべーは、
その頂点に支点をおかないと
バランスがとれないということを
いっているだけなんじゃないでしょうか。

人間が未来や、過去をみようとする ことは自然なことですし、
それ自体は悪くはない。
ただ、現在という意識の重心をはずさないことが大事。
そういうことをいっているのではないでしょうか。

事実とは違うものの見方を
「色眼鏡をかけて見る」という言い方をしますが、
過去や未来を色眼鏡でなく、
正しくみるのには、
きちんと現在に生きている必要が
あるんだと思います。

でもそれが難しく、
多くの人は、未来や過去に
重心をおいてしまって、
まるで色眼鏡をかけたように、
色みがかってゆがんで現在が(過去が、未来が)みえる。
それでは正しく頭が働かない。
そういうことをいっているのだと思います。

一方で、
茶くれさんの「現実が正、意識が副」という解釈は、
意識と現実とを表裏のように
扱っているような感じがします。

「意識が現実(というか、現在)に集中していることが大事。」
だという言葉の使われ方をしているあの本の世界とを比べると、
言葉の定義が異なると感じました。

意識=色眼鏡?
2007/12/19(水) 02:24 | URL | まるぺけ侍 #-[ 編集]
最大の秘密である正規分布教である
ことをばらしましたね。

本の最後の悟りの章で、はっきり
「主観を絶って、真理に達する」
って書いてあるんですよ。

茶くれはこれはバランスではなく、
書き方としては、完全に意識を否定
していると思いました。

しかし、以下の最後の結びを読み返
して納得したんですが、

「瞑想は巨大な力を持っている心の
 能力を妨げる障害を取り除く方法
 であり、実践する人は自分の思い
 通りの生き方をすることはいたっ
 て簡単なことである。」

これは、目標を立てるなど、意識を
集中することで顕在意識の悪い部分
を排除し、潜在意識の力を活用する
成功哲学そのものです。

最終的には秘めたる心の力を引き出
すために、雑念を払うことが必要で、
この雑念の払い方が、
成功哲学は目標に集中する。
仏教は今に意識を集中する。
という表現の違いになったのだと
解釈しました。
どうでしょうか。

まるぺけさんはバランス信者ですね。
2007/12/19(水) 23:49 | URL | 茶くれ #-[ 編集]
そうですか。
「主観を絶って、真理に達する」 と書いてあるんですか。
よく覚えていなくてすみません。
でもこれって「意識を絶って」ではないんですよね。

意識がないところには真理の認識もないのだから、
そうは書かけないとも思います。
と、いっても真理は認識するものでもないかも知れませんが。

ともかく、
茶くれさんが、僕が言っていることに
なにか違和感を感じるんだとすると、
この場合、言葉の定義の問題が大きい気がします。

ともかく、ぼくには意識と主観とは微妙に違う気がします。

たとえば、
意識は「音、音、音」って認識するときに必要なもので、
「蚊が飛んできた、嫌だな」というのは主観だと思うんですよね。
もちろんそこには意識もあるわけですが。
こんな風に、意識と主観とは違うものであるとおもうんです。

では、意識とはなんなのか?
純粋哲学的に意識と主観をどうわけるのかというのも
難しそうです。
そこに、無意識なんていう言葉が絡んでくると、
ほんとうにわけがわからなくなる。

もし「意識=主観」だとすると
「主観を絶つ」ことは=「無意識」なんでしょうか?
もし、そうだとすると
「主観を絶って、真理に達する」は、
「無意識では、真理に達している」と解釈できる?
茶化しているように思われるかもしれませんが、
言葉の定義をあいまいに繊細な問題を語るのは、
手のひらサイズに縮小した芝刈り機で、
ひげをそるくらいに?危ないことのような気がしますよ。

少なくとも「主観を絶って、真理に達する」 と書いてあることの
意味は、「意識を絶って、真理に達する」 とは違うのだと思います。
それに、あの本だって残念ながら厳密に言葉を使うことにはそこまで
注意を払っていないと思います。
彼のものした本に「怒らないこと」なんていうのがありますが、
インターネットで公開されている彼の講話とかを聴くと、
「怒る」という言葉の使い方があいまいです。
「あの長老が始終どなっているのは、怒っているのではない、趣味なんです(笑い)」
みたいな用法を平気でつかている。
そういう塩梅なんです。

少なくとも、僕がいう意識は、無意識の反対側でもなければ、
主観とイコールでもないです。
といっているぼくの主観という言葉も茶くれさんのとは、
また違っているんでしょうね。
そこには、重なりもあり、異なり部分もある。

だからって、何も語りあえないというのではないですよ。
違いをお互いに楽しめばいいではないですか。

ともかく、仏教と成功哲学についての違いを茶くれさんの
納得のいく形で理解されたようで、よかったです。

かくいうぼくは仏教の考え方は、もし本当にそこに入り込むと窮屈そうで、
真剣に自分が取り組む姿を想像(主観?)すると、
閉所恐怖症に似た感覚を覚えてしまいます。

一方で、僕は数学を専攻していたので、
真理は唯一という考えに慣れていて、
「主観によって真理を自由に操作する」という用法には、
違和感をかんじてしまいます。茶くれさんはそんなことは言っていない?
すみません。

それから、茶くれさんのまるぺけを称してのバランス主義というのも
どういうものか正確にはわかりません。
揶揄ではなければよいなと思うんですけれど。。。
まさか、日和見主義とは違いますよね。
ぼくは、色眼鏡をはずすのは難しいといっているだけです。

もうひとつ「考えること」=「主観」=「色眼鏡」なの?
という問いに答えるコラム(四角でかこったページ)があの本にあったと思います。

うるおぼえで申し訳ないですが、
「考えることはすべて悪いことなのか?」
みたいな質問を立てて、
「必ずしもそうじゃない」瞑想ができていればすべての考えは一瞬にただしくなる
っていうような雰囲気のまゆつばな回答をしているページが
あったように記憶しています。

このあたり、意識とか主観とか、考えるとか、いう言葉の使われ方が
じつにあいまいな扱いだと思うんです。
でも、いっていることはわかる。

ちゃんとした考えと、ちゃんとしてない考えというのがある。
ちゃんとした主観と、ちゃんとしてない主観がある。
ちゃんとした意識と、ちゃんとしていない意識がある。

あの本で否定してる、主観とか考えとか意識とかいっているのは、
ちゃんとしていない方のものをさしているんじゃないかなあと思います。

ぼくが言っている意識は、ちゃんとした方の意識です。

真理をゆがめずに認識する能力=ちゃんとした意識

??? また混乱を生んでしまっているかもしれませんね。
2007/12/21(金) 02:02 | URL | まるぺけ侍 #WeUpxyDY[ 編集]
>うるおぼえで申し訳ないですが、
>「考えることはすべて悪いことなのか?」
>みたいな質問を立てて、
>「必ずしもそうじゃない」瞑想ができていればすべての考えは一瞬にただしくなる
>っていうような雰囲気のまゆつばな回答をしているページが
>あったように記憶しています。

は、別の彼の本でした。
「自分を変える気づきの瞑想法」
P.94でした。
うるおぼえですみませんでした。
2007/12/21(金) 11:42 | URL | まるぺけ侍 #WeUpxyDY[ 編集]
私も言葉の使い方がいい加減なの
で、突っ込まれても返す言葉が
ないです。気を悪くされたなら
誤ります。

ただ、最近考え方を変えたのは
真理は唯一ではなく、真理は個別
です。

ただし、ユングが集合的無意識
という普遍的な存在を提唱している
ので、意識の探索が進むと、どこか
でまた唯一に戻るかもしれません。

真理については何千年も議論され、
戦争を繰り返してきたわけですか
ら、議論は避けましょう。

誰がどう考えても、いいんです。
2007/12/22(土) 23:35 | URL | 茶くれ #-[ 編集]
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